6
回想こそしたものの、敦少年が一部始終を何があってどうこうと語ったわけじゃあない。
どう言えば伝わるものかとしばし黙りこくり、
中也もまた、付き合いよく黙って待っておれば、
「大体、こんなの1つがそんなに問題ですか?」
程よい疲労と美味しいワインと、気に入りの愛し子がすぐ傍で微笑っているという至福と。
心地いいほろ酔い気分にくるまれて、
どうかするとそのまま寝落ちしかねないほどの危うい状態にあった中也と違い。
まだまだ夜更かし出来ますよとばかり、意識鮮明だった敦少年としては、
昨夜の可愛らしい睦み合いの中、
不意に中也が手を止めたくだりにも理解は追いついてなかったようで。
喉元へと吸いつかれたことで生まれた鬱血らしいのは何となく判ったものの、
ただの痣みたいなもんじゃないか、
いつの間にかどっかへぶつけた青あざとどう違うんだと、鼻息荒く言い張る敦だが、
「現に困ってたんじゃなかったか?」
ついさっきまでいた探偵社のロッカールームで、
追い詰められていたのはどこの誰だと他でもない中也から指摘され、
「あ、あれは太宰さんが勝手に…。///////」
と言いつつ、
自分でもその呼び水になったこととして、
シャツの襟で何とか隠そうとしてはいたわけで。
起き抜けの中也の態度が変わったのもこれのせいだし、
「…だって、やっぱり痛々しいじゃないですか。」
「だろうが。」
今ひとつ判ってない敦も、誰かの首にこんなものを見たらばきっと
“どんなぶたれ方をしたのだろうか、つねられたのかな?”と思うよな跡だ。
「痛くはないんですのにね。」
まだまだ幼い造作の指でこの辺かな?と探すようにして触れている敦へ、
「…だろうよな。」
こちらはようようご存知な赤髪の兄人がそうと告げ、
「しかも、だ。大人はな、これを見ただけで “ああ…”と、
何やら艶っぽいことがあったなと察してしまうんだ。」
新しい見識を補足してやり、
艶っぽいこと…というのは恐らく、自分の身にも覚えのある睦みのあれかと。
この彼から首元に贈られた強めの接吻を思い起こしたそこへ、
「それも、太宰ほどの助兵衛でなくともだ。」
「えっ。/////////」
思わぬ畳みかけに、ギョッとした。
おや、こんなところに誰かが吸いついたのかい?と、気づかれてしまう跡だなんて。
そんなそんな、自分の周囲にはそれでなくとも察しのいい大人ばかりだというに…。
首を縮めるようにしてすくめ、うううと困ったように唸ってから、
「…もしかして国木田さんでもでしょうか?」
そうと訊かれて、
“国木田といやぁ…。”
今現在の太宰の相棒にして、
次期探偵社の社長候補と聞いている中也としては、
堅物の見本なのだろうと目星をつけたそのまま、
「当然だ。」
「ひぃえぇぇえぇ……っ。////////////」
なんか、いろんな方向へ失礼なやり取りな気がしますが、気のせいかな?
そういうのは とりあえずさておいて。
「……。」
埠頭の先にやや荒れているようにうねる鉛色した海を前に、
ともすればクラシカルなボディが特徴的な、漆黒の外車のフロントガラス越し、
頭上に広がる薄曇りの空の下で。
まだまだ幼いと呼んでもいいような
初々しさの色濃く残るお顔をしょんぼりと萎れさせ、
淡い銀の髪をした虎の少年は、ぽつりと小さく呟いた。
「…ボクはとっても嬉しかったんです。」
艶っぽいこと云々っていうのが まだちょっとよく判らないのですが、
中也さんはそりゃあ優しくて、と。
その兄人がいつもの習慣でセットしてくれたシートベルトを
自分の胸元にぎゅうと両手で握りつつ、たどたどしい口調で語り始める。
「のしかかるようになって一杯撫でてくれ
ほっぺやおでこや耳元やにいっぱいキスもしてくれて。」
こんなに好きだぞって言ってもらえてるんだって、そりゃあ嬉しかったのに。
「それが全部、酔ってたから覚えてない、そんなつもりないって言われて…。」
「…敦。」
「巫山戯てただけだったなんて言われて…。」
「敦、違うぞ。」
「違わないですよ、今朝のあの言い方っ。」
具体的にはそこまで言われてはないけれど、
ハッとしたそのまま、敦に何にも言わせぬような勢いで連ねられた謝罪の言葉たち。
そして、触れようとしかかり、だがそれを思いとどまったあの仕草が、
どれほどのこと敦少年の胸にこたえたことか。
「無かったことにしたかったんでしょう?
子供相手に何やってんだって。」
自分で言った言い回しに、辛そうに双眸を歪めて視線を逸らす。
いつも優しい中也だが、
そんな彼が自分へ向けるあれこれはほとんどが子供相手のあしらいばかりだ。
余程のこと雰囲気がいい感じに馴染んでしまってからなら、
“いいか?”と訊かれての接吻やら、ぎゅうと抱きしめられたりへ及ぶこともあるが、
大概は甘やかしの延長みたいなそれで可愛い可愛いとあやされ構われるのが常であり。
それが昨夜は、ちょっとだけ…あのその、えっと、
恋愛対象が相手のような、少しだけ進んだ扱いをされたような気がした。
ベッドの上で横になった上へのしかかられ、全身隈なく触られて、
シャツ越しの肉感にはいつもよりドキドキしたし、体中が熱くもなった。
中也さんの側からも甘えられてたような、
“もっともっと”と求められてたような気がしていたのに。
「酔っ払ってたからつい、見境なくやっちゃったこと、だったんでしょう?」
恋人扱いされたみたいだっただなんて、勝手な自惚れ。
全部ただの思い上がりだったんだと思い知らされて。
「中也さんこそ、ボクの顔なんて見たくもなくなったんじゃないかって。
面倒なことになったなぁって思ったんじゃないかって。」
そんなこんなを思ったら居たたまれなくなって、それで、
掛かって来た電話の応対にと背を向けた中也だったのを見澄まして、
脱兎のごとく、中也のマンションから飛び出したのであり。
「……。」
兄人が闇雲に謝ったのといい勝負だったよなと、
ちょっとは反省しているものか、俯いて自分の胸元を見下ろす彼なのへ、
「…敦。」
自分の側のシートベルトを外し、身を起こすと、
拗ねたようにしょぼくれている少年の頬へ手を伸べる中也であり。
「…すまん。
あ、これはさっきの続きじゃなくて、そうやって闇雲に謝ったことへだからな。」
触れられても顔を上げぬままの少年へ、それでもいいと強引にはせず、
「無かったことにしてぇと思ったってのは半分ほど当たってる。」
「…。」
ひくりと口許が震えた敦だったようだが、
特に取り繕おうと焦りはせず、中也は淡々と言葉を続ける。
「何も覚えてねぇってのが情けなくてな。
そういや、痛いって声で一瞬我に返ったのは覚えてる。」
それを真っ先に思い出したんでつい、
口から“ごめん”とか“すまねぇ”って言いようが出ちまったんだが、
「本当のところを言うとな、
何も覚えてねぇのが勿体ねぇって思った。
なので、何かやらかしてたのなら無かったことにして仕切り直してぇって思った。」
「…、……はい?」
不謹慎だが、こうまでくっきりキスまぁく残してんのに、
何で何も覚えてねぇの俺…って。
何かこう、背条がぞくぞくってするような、
ちょっと怖がられてるようなお顔を覗き込んでの
酔いに任せての無体とか。
いやいや本来はあっちゃあならねぇことだけどさ。
こんな深みへ唇寄せたほどの大胆不敵をやらかしてんだから、
他にも何かやらかしたかもしれねぇって思うじゃねぇか。
それを一番に勿体ねぇとか何でだ何でとか、そうと思って我を忘れたっていうか。
「ホントに、ここに吸い着いただけか?」
「…はい。」
「そか、……う〜ん。」
「何ですよ、ややこしい声出して。」
こっちは結構深刻に構えて、そりゃあ気落ちしたっていうのにと、
やや恨みがましげに上目遣いで見やって来た敦だったのへ、
「だから、がっかりの方向は違うが俺も同じだってことよ。」
あの芥川の“羅生門”に何度も切り刻まれても怖じけずに立ち向かったり、
次々に襲い来る最強の敵に追われても怯まず、持ちうる力の全てを叩きつけたりと。
厳しい戦闘へその身を投じ続ける彼を思えば、決してか弱くはなかろうが、
そういう直截的な話じゃあなく。
自分にとっての敦は相変わらず
どう触れていいのやら、ついついある程度以上へは手が伸ばせぬ、
そりゃあ尊い清らかさをたたえた無垢な少年。
力づくなんてしたら嫌われやしなかろか、
それより何より 彼が裏切られたと傷つきはしなかろかと、
鬼さえ逃げ出そう、最強の異能を誇るマフィアの幹部が、
そんなことへ尻込みして、中学生男子のように臆病になっているなんて、
“一体誰が信じようか、だよな。”
息をつくよに小さく苦笑が洩れる。
そんな愛し子に鬱血痕なんて付けちゃったのへは慌てたし、
そのくせ、話の途中で逃げ出したときはこの野郎と追いかけもした。
手放す気なんて毛頭なくて、とはいえ、敦自身の気持ちも大事にしたい。
なので、
「探偵社まで追って来てくれたのへ、ちょっとは期待して良いのかなって…。」
もう知らねぇと見放されたわけじゃあないと、
そう思ってしまってドキドキしましたなんて。
拗ねていたのはどこのどなたか、
男くさい苦笑にちょっとときめいてしまったらしく。
そりゃあ可愛いことを言ってくれる虎の子くんだったのへは、
何とか落ち着いてくれたようだと嗅ぎ取って、こっそり安堵の吐息をついて見せる。
“もしも探偵社にあるまじき不行状とかって責められたなら、
そのまま引き取って生涯傍に置こうってつもりだったんだがな。”
…もしもし?
それって結構重いというか、
一歩間違えたら “籠の鳥コース”一直線なんじゃあ…。
そんな危険思考に突入しなくてすんだ幸いに、
果たして気づいているやら居ないやら。
そして、こちらはこちらで、先程までの混迷はどこへやら、
まだまだ何かと拙い自分を判ろうとしてくれて、
ちゃんと冷静に話を聞いてくれた、それは頼もしい兄人さんへ、
含羞みの滲んだ嬉しそうなお顔になった少年であり。
「俺なんぞでいいのか?」
「中也さんじゃないと嫌です。中也さんじゃないとダメなんです。」
自分の胸元へ斜めに掛かったシートベルトをややもだもだとくぐって抜けて、
おいでと開かれた頼もしい懐に飛び込んで。
朝も早くからすったもんだしたはた迷惑なお二人、
何とか齟齬も均されての、仲直りが適ったようでございます。
to be continued. (17.06.29.〜)
BACK/NEXT →
*お酒の上でのあれやこれやって、
反故にされた方はたまりませんよね。
とはいえ、20代前半までは物凄い無茶飲みしてたので、
覚えてな〜いと言いたくなる側の気持ちも多少は判ったりして…。
あ、もちょっと続きます。太宰さんがどこ行ったやらですので。

|